キュレーションを超えて重要なこと
久々にMenthasのfeedをみていたら先日TechFeed Conference 2022というものがあったそうで、そこから考えたことを書いておきたいと思う。
いかに発信してもらうか
僕はTechFeedさんの関係者ではないので、どんなモチベーションでこのカンファレンスが開かれたのかは推測でしかないのだけど、おそらくはエンジニアのひとに如何に安心して発信してもらうかということを突き詰めた結果なのではないかという気がしている*1。
ブログ記事をキュレーションして紹介するサービスを運用していると、どういう記事をキュレーションするかよりも如何に良い記事を書いてもらうかということが重要だということに気付かされる。これはUGCのサービスも同じかもしれない。PGCのNetflixだってアルゴリズムというよりも、自社コンテンツに力を近年はずっと入れている。すなわち競争力になるのは自社が独自で配信できるコンテンツということだ。
営利企業という側面でいうと自社で囲い込んで記事を作ってもらうということになると思うけれど、もっとエンジニアコミュニティ的な話をすると、きちんと読んでくれそうなひとに精神的安全性を保った状態で、記事が届くということが重要かなと思っている。単にPVを稼げばいいということでなく、日本に100人しか読者がいなくてもその100人に届くことが重要というようなイメージをしてもらえればいいと思う。加えてそこから少しでも意味のあるフィードバックを得られることがあればいい。 というのもバズりすぎてコンテキストを知らないひとに記事が行き渡ってしまうとそれはそれで変な批判を招くこともあるし、一度でもそういうことが起きると執筆者がpublicに記事を公開するモチベーションが下がってしまう。 この辺りが近年publicにブログを書くのでなく、自分も含めて企業内ブログとかSlackのtimesで満足してしまう要因なのかもしれない。
これまでMenthasで紹介されてマイナスだということを言われたことはないけれど、コンテキストを超えてバズってしまって発信者が傷ついてしまうことに手を貸す可能性はあるし、そういう事態になってしまうのは避けたい。理想論かもしれないが、技術論は技術論で消費されることを僕自身は望んでいる。
とまあこの辺りのことを考えると一番良いのは自分たちが管理するドメイン下でコントローラブルな形で発信してもらい、それによってレピュテーションリスクとかを最小化し、発信することの精神的なハードルを下げることを狙うということになりそうで、それは実現できるなら良い方針だなと。
繰り返しになるかもしれないが最近というかこの数年ずっと自分が考えているのは、いかにキュレーションするかというよりも、記事をoutputしてもらう環境を作る方が重要だなあと思っている。これは技術ブログだけではなくてUGCのもの全体にいえるかもしれないけれども*2。
一方で世間的には無名なひとが書いている有用な論文やブログも世の中には存在しているわけで、そういうものを発掘する価値もまだまだあるなあとも思っている。それぞれ別の問題であり難しい。どちらに進むかを今考えている。
*1:Qiitaのアドベントカレンダーとかも類似事例だろう